編集部スタッフです。
終わりに近づいたとはいえ、いまはまだ秋、
天候がめまぐるしいのはしかたがないのか、
なんだか雨が多い今日この頃ですね。
みなさん、かぜなど引いていませんか?
今日はさいわい雨に降られずに過ごすことができましたが、
ここでふと気がついたことがありました。
それは、
雨は印象に残りやすい
というか、
週にニ、三回雨だったりすると、もう、
その週はずっと雨だったかのような
そんな気になることでした。
そうなると、一年中、雨が降っているようなものかもしれませんが、
さいわい振り返ってみても、
そこまで雨に降られた気はしなくて、
晴れの日の記憶もちゃんと残っているので、
一年単位でみれば
バランスよく?降ったりやんだりが続いているのかもしれません。
なーんて、ほうっておけばついこのように、
雨をなんだか悪者あつかいにしてしまいそうになりますが、
晴れの日の散歩と同じくらい、
雨の日、窓からながめる景色が心を楽しくさせることだってあるので、
雨に降られて気持ちが沈んだりするようでも、それは
雨が直接気持ちを沈めようと働きかけているわけではない
と気がつきます。
そう、どうやらたぶん、
気持ちを沈めたり、落ち込ませたりするのは、
空から降ってくる雨とは別の雨のようですね。
そして、こうして元気で楽しく過ごすことができるのも、
その別の雨から守ってくれる何かがあるからですよね。
その何かは、別の雨に対して別の傘とでも呼べるかもしれません。
すると、うすうす気づいていたことですが、
人の気持ちを左右する雨も傘も、また人によるものだろうと思えてきます。
そうなるともうこれは毎日、天気に関係なく、
いたるところで雨が降り、傘が差し出される、が繰り返されていると想像できます。
そんな状態だといつも傘をもっている必要がありますが、
それはどうやら、
自分で自分に傘を差し出すよりも、
だれか別の人に差し出してもらうほうが
はるかに濡れないですみそうです。
そして自分の傘は、同じようにだれか別の人を雨から守る道具になりそうです。
つまり、濡れないためには、
この傘には、一人ではなく二人以上で入っている必要があるようです。
と、前置きが長くなりましたが、
そんな、雨だらけの世界に住んでいる私たちに、
傘を忘れないでいられるような映画、その名も
「傘の下」
が登場しています。
それも、高円寺在住の監督、
しかも、その作品は無償の協力を惜しまない
高円寺じゅうの多くの方々によって完成していると聞いては、
ハッピー高円寺が取り上げないわけにはいきません!
もっぱら「ドラゴン」と呼ばれることの方が多いという
川本貴弘監督の12作目となるこの長編映画「傘の下」には、
主人公たちに降りそそぐ雨や差し出される傘を映し出す舞台として、
高円寺が大々的に登場しています。
バーボンハウス、テキーラハウス、ブラインド・ブックス、Bar森といったお店から、
JR高円寺駅前、高架下といったなじみの場所に反応している間にも、
あまりにみじかに感じられる主人公たちに、つぎつぎと雨が降りそそいでいきます。
このあまりにみじかに感じられるというのが、どのくらいかというと、
寝起きで観たとしても、
なにやら目の前に自分の知っている人たちが登場している気がするくらいのもので、
また、高円寺に登場する人物の多くが関西弁(京都弁、大阪弁)なのに、
まったく違和感をおぼえないくらいのものなんです。
なにより監督からうかがった
「たまたま高円寺だった。べつに舞台はどこでもよかった。」
との言葉でこのあまりにみじかな感じを伝えたいと思い出しました。
これはもちろん、高円寺を舞台にしたくないということではなくて、
日本全国どのまちにいても、雨に降られたり、傘を差したりできるのと同じくらい、
どこでも撮影できるテーマだということです。
強い雨に負けないくらい、強い傘、強いテーマだということですね。
そんな強い傘を持つ監督は、
これまた
「たまたま住み始めた。」
という高円寺での十数年の生活で、
多くの方々にその傘を差し出してきたのでしょう。
先程ご紹介した高円寺らしいお店や、
原案である歌の作者、ユダさんをはじめとした高円寺にゆかりのあるバンド、
そして多くのスタッフの方々がその傘の下に入って、
傘を差し出しあって、
この作品が生まれることになりました。
そういう意味では、これぞ高円寺らしい映画!だと言えますね。
さらにバンドといえば、監督の考えは、
まったく全国ツアーを目指すバンドと同じで、一貫していて、
もちろん高円寺にとどまるものではありませんでした。
「映画監督は、作品を創って終わるのではなく、
バンドのように、自ら、観てもらう努力をする必要がある。
バンドのツアーのように、全国、
どこでも行けるところは全部回るつもりだ。
何年かかってもそれは続ける。」
このように、バンドと変わらないその情熱は、
既存の体制、映画館での上映にとどまるものでも、ありませんでした。
「大きな映画館では映画というものが、
いつのまにか配給会社を通さないと
上映できなくなっている。
だから自主制作だと、
はなから相手にしないような態度が生まれる。
映画館での上映にはこだわらない。
むしろ、作品になじみがない方や
映画に無関心な方にこそ観てもらいたい。
DVDと大型テレビやスクリーンがあればすぐに上映ができる。
入場料は上映先が決めればよい。」
編集部スタッフは、
監督と数回明け方までお酒をご一緒する機会をいただいたのですが、
このような言葉のとおり、
いちバンドマンと同じ気持ちの持ち主なんだなとすぐに理解できました。
いや、お会いした初日に、そう理解していたはずなのですが、
ばかな質問もしていたことを思い出しました。
ここからも監督の気持ちやこの作品の密度が伝わると思うので、
恥ずかしながら公開することにします。
「12作品目ということですが、作品に共通するテーマは?」
「作品ごとにテーマは異なる。
作品ごとのテーマを大切にするから、
共通のものを設けているわけではない。」
「つぎはどんな作品を考えているのですか?」
「脚本、監督、出演、制作まですべて担当した。
そして、10数年住んでいる中での人間関係、
みんなの協力によって完成した。
そんな一世一代の作品だから、次は(まだ)考えていない。」
そう、すでに回答はいただいていたのでした。
撮って終わり、次の作品ではなく、
撮ったら観てもらうように全国を回るまでがひとつの作品だと・・・。
ここでふと、梅雨前線など天気図が思い浮かんできました。
ふだん目にしている天気図とは別の天気図があって、
監督やこの作品がドラゴンのように自由に全国を回ることで、
その別の天気図に気づく方も増えてゆくのだろうと思いました。
全国のあちこちにそんなドラゴン川本前線が近づきますように。
【上映期間】
12月1日(土)~7日(金)(4日のみ定休) 20時より
【会場】
下北沢トリウッド 世田谷区代沢5-32-5-2F(古着屋シカゴ2階)
【入場料】
前売800円 当日1,000円
【お問い合わせ】
ロードショウについては 03-3414-0433 (下北沢トリウッド)
「上映したい!」等上映については kasanoyoyaku@gmail.com
※川本貴弘監督出演のイベント「高円寺MUSIC VIBE」
「へー、この監督、なんだか興味ある」から「ロードショウまで待てない!」という方まで、
この11月、というかもうあさってですが(笑)、高架下の高円寺HACOさんで、
監督とその作品の一部(京都を中心に全国的に活躍するロックバンド騒音寺のMV集
【騒音寺 BigShitComin】から最も人気のあったMVを上映)に会うことができます。
【日時】
11月22日(木)OPEN 18:30 START 19:00
【会場】
杉並区高円寺南3-69-1
【入場料】
500円
【お問い合わせ】
03-3310-0852 (高円寺HACO)
※以下は、編集部スタッフによるネタバレではなく、ネタ晴れな、
どうしても書いておきたい作品について勝手に感じたニ、三の事柄
・(夏子に「好きにしていい。」と言って、
自分の考えを口にしようとしない幸子をはじめ全ての主人公たち、
つまりわたしたちに当てはまることだが)みんな今の状態にとどまっていたい気持ちと、
次に進みたい気持ちの両方がある。
それはさらに、ひとりの場合と、ふたり(以上)の場合に分かれる。
だから、雨が降る。雨が降るのを止められない以上、傘を忘れないようにする必要がある。
・忘れないとは、(上のように4つの場合があるけど)ひとりでとどまることをがまんすることだろう。
・「やきもちやくなよ」と言う人こそ、その相手にやきもちをやかないといけない。
やきもちをやくのも傘を差し出すことになる。
・変わらないといけない流れに対して、とどまるものがあるとすれば、
それは、傘の下にいることをいっしょに感じているその瞬間だろう。
・ふだん、なんてぜいたくに、差し出された傘が見過ごされているのか
(毎日は徳永の言葉「最後くらいちゃんとやれ!」が浴びせられるはずの時間の連続だ)。
・(ディズニーランドをためらう夏子に、言葉では許したようなふるまいをする母親。
「好きも嫌いもかみ合わせやっちゅうねん。」と秋夫に吐き捨てるように言う亜子)
おたがいに気持ちは変わっていく。
だからときどき停留所のように傘の下に入らないと次の目的地に進んでいけない。
・(京都に帰る徳永の荷物のように)本当に大切なものはとても少ない。
その中にはもちろん傘がある。
・(自身の写真展で村田君が亜子に言う
「無関心に捨てられたり忘れられたりしたおもちゃや道具を撮るというのが今回のテーマ。
そこからは外れているんですけど、撮らずにはいられなくて・・・」が示す夏子らしき少女の写真。
夏子にとっての傘の下とは三人で入っている状態のことだから、
実はそんなにテーマから外れてはいない。)三人以上じゃないと成り立たない傘の下もある。
・傘はだれの持ち物か?傘だって第三者。自分と目の前にいる相手以外の人だと
意識することで、その傘は存在し続ける。
・子どものほうが第三者を見ている。父母さえ第三者として見ている。
子どもにしか見えていない雨がある(「パパとママはどうして~?」
その問いかけに秋夫は答えられない)。
・(家族持ちの同僚に正社員の枠をゆずった秋夫に亜子が言う
「でもあんたのそんなとこ、好きやねん。」これがポスターになっている場面!)
第三者に傘を差し出しながら生きるのが二人でいっしょにいるということ。
そうじゃないと、傘同士がぶつかってしまう。
絶妙なタイミングで傘が見つかったり、買えたり、差し出されたり、
ぶつからずに済んでいることに感謝。